

近所には「湯の華小路」と呼ばれる散策路があり、権現様や足洗いの湯、開国の志士・吉田松陰が身を寄せた寄寓の跡など温泉街の情緒が感じられる史跡が見られる。伊豆の踊り子の一行が下田港まで歩いた下田街道を辿ると、唐人お吉が身を投げ波乱の生涯を閉じた「お吉が淵」、その近くには地場産品の販売所「旬の里」がある。 下田市を一望にできる寝姿山へ昇る下田ロープウェイ、下田港内を一周できる伊豆急マリン、下田海中水族館をはじめ、石畳と柳が印象的なペリーロード、花と歴史が薫る下田公園、下田歴史の散歩道、ベイステージ下田とまどが浜海遊公園など、異国情緒と潮の香が感じられる港町・下田を自動車やレンタサイクルで散策できる。
下田の石がワシントンDCに
ペリー来日中にワシントンDCでは初代大統領ワシントンの偉業をたたえた記念塔の建設中で、塔の内部の壁には世界中の石をはめ込むことになっていました。
ペリーは日本から下田の石を持ち帰り、その石は記念塔にはめ込まれました。
今でも塔の内側に「五月伊豆の国下田より出す」と刻まれた下田の石を見ることができます。
この石は地元では「伊豆石」と呼ばれ、加工しやすいことから、古くから石塀や石蔵に使われています。
下田にカーター大統領を呼んだ男
1979年、下田に現職のアメリカ大統領が来ました。大統領を呼んだのは第22代駐日米国大使マイケルJマンスフィールド氏です。マンスフィールド氏は「日米の揺ぎない関係は下田から始まった」として、何度も下田に足を運び下田との親善を深めました。
東京サミットに出席するカーター大統領に下田を訪れることを推薦し、米国大統領主催の「対話集会」を開催。世界に衛星配信されました。氏には下田市名誉市民の称号が贈られています。
下田で吉田松陰の運命は変わった
「世界の事情を学びたい」この決意を胸に、吉田松陰と金子重輔は1854年3月18日、ペリー艦隊を追って下田に着ました。
27日深夜、ふたりはペリー艦隊に乗りこみ便乗を懇願するがペリーに断られてしまいます。当時日本人の踏海(海外に行くこと)は大罪でした。松陰はいさぎよく自首し、その後獄中と軟禁の生活が始まります。4月11日、陸路天城山を越え、江戸の獄へ送られました。[場] 豆州下田郷土資料館・柿崎(踏海の地)
伊佐新次郎は静岡一大茶産地の開祖
伊佐新次郎といえば、下田ではお吉をハリスの奉公にいかせる説得役として知られています。
伊佐新次郎は幕府の役人であったため、明治維新後は役を解かれ徳川慶喜と共に駿府・静岡に移りました。
静岡では旧幕の武士の糧を得るため、牧之原台地に一大茶園を開墾しようとする中條景昭たち旧徳川幕府に仕えた幕臣たちの姿がありました。伊佐は中條景昭を支え、外貨を稼げるまでの良質な一大茶園を作り上げました。
[場所] 宝福寺
宝福寺
龍馬は下田で脱藩罪から解放された
1863年、土佐藩の元藩主山内容堂は船で京都に向かう途中、嵐のため下田で足止めされていました。そこに、後の海援隊メンバーを伴った勝海舟の船も下田に入港するという偶然が起こります。容堂は海舟を呼び寄せ、そこで海舟は龍馬脱藩の罪を許ゆるしてほしいと頼みます。替わりに容堂は酒の飲めない海舟に杯を持たせ一気飲みさせます。海舟はそれを飲み干し、龍馬は赦免となりました。そのとき龍馬が下田にいたとも言われています。
長楽寺
日露和親条約のときロシアの船は沈没
1854年、日露和親条約を結ぶためプチャーチン提督を乗せた軍艦ディアナ号が下田に来ました。ディアナ号は長さ52m、大砲52門、乗員500人を乗せた2000tの木造帆船でした。締結の準備中、不運にも大地震が発生し大津波が下田を襲い、ディアナ号は自力航行が不可能になりました。さらに修理のため西伊豆・戸田へ曳航する途中、嵐で船は駿河湾に沈没してしまったのです。
下田公園は戦国の舞台でもあった
下田公園は後北条氏の小田原水軍が根拠地とした城「下田城」があった場所です。豊臣秀吉の天下統一で後北条家との関係は悪化。1590年(420年前)豊臣側の水軍が下田城を襲撃しました。
約600人の兵が豊臣軍と戦い、約50日間城を守り続けましたが、その後、城を明け渡しました。今でも空堀(水のない堀)と天守台跡を見ることができます。
[場所]下田公園
吉田松陰は下田で皮膚病を治療
吉田松陰が下田に来たとき、松陰はダニが原因の皮膚病を患っていました。
密航の機会を待つあいだ、蓮台寺の共同湯で治療をしているとき、松陰と金子重輔は村山行馬郎という医師と出会います。
村山医師は自宅を宿として提供し、そのとき松陰から企てのあることを打ち明けられました。
相手は武士。村山医師は、松陰の言われるまま密航決行の直前まで皮膚病を治療しましたが、完治には至らなかったようです。
[場所] 吉田松陰寓寄処(蓮台寺温泉内)
静岡メロンの礎は下賀茂温泉
静岡メロンといえば、全国的に高級メロンとして知られています。
下賀茂では湯量が豊富で温度も高い温泉熱を利用して、大正時代から大規模にカーネーションやメロンの栽培が行われてきました。
視察も多く、特に遠州(磐田)の農学校は長期間滞在して熱心に技術を覚え、持ち帰った技術は静岡メロンの礎となりました。最盛期には15軒のメロン農園があり、皇室に献上するほどでしたが、水害で今は1軒のみです。
[場所]さとう温泉メロン(南伊豆)
河津八幡神社
相撲の決まり手「河津掛け」
全国的にも有名になった河津桜ですが、河津の名で古くから知られている言葉に相撲の決まり手「河津掛け」があります。
平安末期、河津に村一番の力持ち河津三郎という男がいました。三郎は自分が考案した新しい一手で相撲に勝ち、それ以来この決まり手が「河津掛け」と呼ばれるようになりました。実は、三郎は日本三大仇討ち「曽我物語」の五郎・十郎の父親です。
日本商業写真の祖 下岡蓮杖
下岡蓮杖(本名・櫻田久之助)は下田奉行所の足軽(雑役)として働く下級武士でした。
1856年、蓮杖はハリスのいる領事館に出入りするようになり、かねてから興味をもっていた写真技術をオランダ人通訳のヒュースケンから学びました。
その後横浜で写真館を開業。日本の商業写真の開祖といわれています。人物写真は以外と少なく風景写真を多く残しています。
[場所] 蓮杖写真記念館(寝姿山)・豆州下田郷土資料館・下田公園
「北方領土」の日と下田の深い関係
1981年、閣議了解によって毎年2月7日は「北方領土の日」と決められました。
日本とロシアの間で最初に国境の取り決めをしたのが日露和親条約でした。その締結が1855年2月7日下田の地で行われました。米国ペリー艦隊が去った4ヵ月後のことです。
下田市ではこれを記念して毎年2月に史跡をめぐる「北方領土の日」マラソン大会を開催しています。
[場所]長楽寺・福泉寺
ディアナ号沈没で日本近代造船は発展
大津波と嵐で沈没してしまったディアナ号でしたが、乗組員は村人に無事救助されました。
その後、日露和親条約は無事締結できましたが、船をなくして帰ることができないロシア人ために戸田の船大工と住民は協力し、新たな洋式帆船を作りました。プチャーチンは住民に感謝しつつ帰国しました。
この時、造船に関わった船大工・緒明嘉吉、菊三郎父子は横須賀の浦賀に造船所をつくり、日本の近代造船に貢献しました。
[場]長楽寺・戸田造船郷土資料博物館(沼津)
ハリスの小怪
ペリーが来て2年後の1856年に、日本総領事に任命されたタウンゼント・ハリスが玉泉寺にアメリカ総領事館を設置しました。玉泉寺から約400m離れた海岸あたりで散策にふけった小径が、今では”ハリスの小径(こみち)”として整備されています。この小径は、もともとこの先にある福浦まで続くので、福浦遊歩道ともいいます。
爪木崎
水仙の群生地としても知られる爪木崎。駐車場から整備された遊歩道を10分程歩くと絶景が望めます。特に灯台から見る大海原は息を飲むほどです。
吉佐美大浜ビーチ
770Mもの雄大な白浜とエメラルドグリーンの海。下田には9アリアの天然の砂浜のビーチがり、どなたでも目的に合わせて楽しめます。その水質は環境省調査にてランクAA(最高水準)とされています。澄んだ海の色はエメラルド、首都圏・中京圏から飛行機を乗らずに行ける綺麗なビーチが下田の自慢です。※毎月3回の放射能検出検査結果より自然界以外の一切の放射能物質は検出されておりませんので安全です。
稲生沢川
当荘の借景・稲生沢川は川釣り愛好家にとって穴場的なスポットです。夏場には鮎が、冬場にはウグイがそれぞれよく釣れます。様々な川魚が天然遡上(そじょう)してくる他に毎年市が放流も行っております、流れも穏やかなので初心者でも比較的容易に川釣りが楽しめます。当荘でも用具の貸し出しを行っておりますので、どうぞお気軽にお申し付けくださいませ。
蓮台寺散策
近所には「湯の華小路」と呼ばれる散策路があり、権現様や足荒いの湯、開国の志士・吉田松陰が身を寄せた寄寓の跡など温泉街の情緒が感じられる史跡がそこここに見られます。伊豆の踊り子の一行が下田港まで歩いた下田街道を辿ると唐人お吉が身を投げ波乱の生涯を閉じた「お吉が淵」があり、近くには地場産品の販売所「旬の里」があります。
世界の窓口・・下田開港
今から160余年前、幕末の下田はアメリカのペリー、ロシアのプチャーチンが来航、両国と和親条約を結び開国への第一歩を踏み出しました。ついでオランダ、イギリス、フランスとも条約を結びペリー来航から明治までわずか15年間ですが世界の窓口都市として栄えたのがここ下田です。今でも異国情緒の街並みは魅力あるスポットです。
陶芸・手作り体験
緑深い伊豆にはもの作りに携わるアーチストの方々が多く住まっています。陶芸や染色、吹きガラスなどのアートから、そば打ちや干物作りなどの食品までこれらの体験コースもご紹介もいたします。
田牛サンドスキー場
海からの風が強いせいで砂が吹き上げられ自然に砂の斜面ができました。この斜面でソリ滑りをすると楽しめます。風が強いのでゴーグル等の目に砂が入るのを防ぐことをおすすめします。
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